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2009/11/16 (Mon)
F 1
Jenson Button (C)Honda Racing
まだルイス・ハミルトンのチームメイトが定かでないマクラーレン・チームだが、先週渦中のジェンソン・バトン(29歳:イギリス)がウォーキングにある同社ファクトリーを訪問したことが判明、話題を集めた。
本人は「ただ、表敬訪問しただけ」と語っているが、注目されるのはパーソナル・マネージャーであるリチャード・ゴダード氏が同行していたということで、来季の契約に向けた話し合いが行われたのではないかと憶測を呼んでいるもの。
同チームの来季ドライバーにはキミ・ライコネン(フェラーリ)の名前も上がってたが、ここにきて立場が変わったとの見方をする向きも多い。
いずれにしろ、実現すれば新旧チャンピオンどうしの組み合わせとなり、かつてのセナ・プロ黄金時代の復活を彷彿とさせそうだ。
(FMotorsports F1より)
こちらに、これまで撮った画像のサイトを作りました。
Jenson Button (C)Honda Racing
まだルイス・ハミルトンのチームメイトが定かでないマクラーレン・チームだが、先週渦中のジェンソン・バトン(29歳:イギリス)がウォーキングにある同社ファクトリーを訪問したことが判明、話題を集めた。
本人は「ただ、表敬訪問しただけ」と語っているが、注目されるのはパーソナル・マネージャーであるリチャード・ゴダード氏が同行していたということで、来季の契約に向けた話し合いが行われたのではないかと憶測を呼んでいるもの。
同チームの来季ドライバーにはキミ・ライコネン(フェラーリ)の名前も上がってたが、ここにきて立場が変わったとの見方をする向きも多い。
いずれにしろ、実現すれば新旧チャンピオンどうしの組み合わせとなり、かつてのセナ・プロ黄金時代の復活を彷彿とさせそうだ。
(FMotorsports F1より)
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2009/11/16 (Mon)
F 1
トヨタは、2009年限りでF1撤退を発表。8年間にわたるトヨタのF1活動は幕を閉じた。
2002年からF1参戦したトヨタは、140戦に出場。2位5回、3位8回で13回の表彰台を含め87回の入賞を果たし、合計で278.5ポイントを獲得したが、悲願の優勝を遂げることはなかった。
8年間のトヨタF1の歴史を2001年のTF101を含めた歴代F1マシンとともに振り返る。
トヨタ TF101 (2001年)
トヨタ初のF1マシンとなるTF101。TF101は、19カ月かけてゼロから設計された。トヨタはこのTF101で、V10エンジンに変更となる2002年からの参戦に向け、ミカ・サロとアラン・マクニッシュのドライブにより各国の11のサーキットで8カ月間、3000ラップ以上、累計20,967kmに及ぶテストプログラムを実施した。TF101のデザインは、トヨタのル・マンマシンであるTS020を手掛けたアンドレ・デ・コルタンツが担当したが、デザインは古臭く、テスト結果も思わしくなくなかったため解雇された。
トヨタ TF102 (2002年)
TF102は、2001年5月にミナルディから引き抜いたグスタフ・ブルナーによって設計が進められた。ドライバーは、ミカ・サロ(カーナンバー24)とアラン・マクニッシュ(カーナンバー25)。開幕戦オーストラリアGPでは、ミカ・サロが6位入賞と幸先のよいスタートを切ったが、その後は第3戦ブラジルGPでサロが再び6位に入った以外はノーポイント。合計2ポイントで、コンストラクターズ10位で参戦初年度を終えた。
トヨタ TF103 (2003年)
TF103は、TF102の正常進化版といえるマシン。デザインは引き続きグスタフ・ブルナーが担当した。しかし、TF103は、前年のフェラーリマシンF2002に酷似しているとしてスパイ疑惑騒動に発展した。新エンジンRVX-03 V10は、ルカ・マルモリーニ(現フェラーリ)を中心に設計・制作された。2003年はドライバーを一新し、オリビエ・パニスとクリスチアーノ・ダ・マッタが担当。16ポイントをあげ、コンストラクターズ8位でシーズンを終えた。
トヨタ TF104 (2004年)
TF104は、TF103のコンセプトをベースにしながらも、シャシーを含めた全エリアを再設計。デザインは引き続きグスタフ・ブルナーが、シャシーはマイク・ガスコイン(現ロータス)が取りまとめた。ドライバーは前年と同じオリビエ・パニスとクリスチアーノ・ダ・マッタでスタートしたが、第12戦ドイツGP終了後にダ・マッタは解雇。中国GPまではサードドライバーのリカルド・ゾンタが、日本GPからはヤルノ・トゥルーリがカーナンバー16のドライブを担当。またオリビエ・パニスが最終戦を待たず日本GPで引退しため、最終戦ブラジルGPでは、リカルド・ゾンタがカーナンバー17のマシンに座った。9ポイントを獲得し、コンストラクターズ8位だった。
トヨタ TF105 (2005年)
2005年はラルフ・シューマッハがチームに加わり、ヤルノ・トゥルーリとコンビを組んだ。TF105は、マイク・ガスコインが本格的に設計に加わり空力を強化。第2戦マレーシアGPではヤルノ・トゥルーリがチーム初となる2位表彰台を獲得。トヨタはこの年、ポールポジション2回、表彰台計5回をはじめ88ポイントを獲得。コンストラクターズ4位でシーズンを終えた。また、この年からジョーダンへのエンジン供給を開始した。参戦当初からマシンを設計してきたグスタフ・ブルナーは、年末に解雇された。
トヨタ TF106 (2006年)
エンジンがV8エンジンへと変更になったこの年、トヨタはタイヤをミシュランからブリヂストンに変更。しかし、TF106はブリヂストンタイヤをうまく使いこなすことができず低迷。4月にはマイク・ガスコインを解雇。モナコGPからフロントサスペンションをゼロキール化したTF106Bを投入して復調をみせたが、35ポイントでコンストラクターズ6位に終わった。
トヨタ TF107 (2007年)
TF107は、V8エンジンに合わせてモノコックを新設計。前年の反省から、ブリヂストンタイヤにあわせてサスペンション周りが大幅に見直された。またギアボックスにはシームレスシフトが導入された。しかし、TF107は昨年より低迷。信頼性も乏しく、一度も表彰台に上ることなく13ポイントで、コンストラクターズ6位でシーズンを終える。この年からエンジンを提供したウィリアムズを下回った。また、2007年をもって3年間在籍したラルフ・シューマッハがチームを離脱した。
トヨタ TF108 (2008年)
2008年はラルフ・シューマッハの後任としてティモ・グロックがチームに加入。サードドライバーには小林可夢偉を起用した。TF108は、TF107からエアロコンセプトを劇的に変化させてはいるが、相対的にみれば近年のトレンドを組み込んだスタンダードかつコンサバティブなマシンだったといえる。TF108はシーズン当初からパフォーマンスを発揮し、フランスGPではヤルノ・トゥルーリが2006年以来となる3位表彰台を獲得。ティモ・グロックもハンガリーGPで2位表彰台を獲得するなど、56ポイントを獲得し、コンストラクターズ5位でシーズンを終えた。
トヨタ TF109 (2009年)
開幕戦からダブルディフューザーを搭載したTF109は、開幕から強さをみせ、ヤルノ・トゥルーリが3位、ティモ・グロックが4位と幸先の良いスタートをみせる。第4戦バーレーンGPではチーム初となるフロントローを独占。他チームの開発が進んだ中盤戦は低迷するも第14戦シンガポールではティモ・グロックが、第15戦日本GPではヤルノ・トゥルーリが2位表彰台を獲得。最終2戦では負傷したティモ・グロックに代わりトヨタ初の日本人ドライバーである小林可夢偉が出走。最終戦アブダビGPでは6位入賞を果たした。59.5ポイントを獲得し、コンストラクターズ5位でトヨタのF1活動は幕を閉じた。
(F1-Gate.comより)
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トヨタは、2009年限りでF1撤退を発表。8年間にわたるトヨタのF1活動は幕を閉じた。
2002年からF1参戦したトヨタは、140戦に出場。2位5回、3位8回で13回の表彰台を含め87回の入賞を果たし、合計で278.5ポイントを獲得したが、悲願の優勝を遂げることはなかった。
8年間のトヨタF1の歴史を2001年のTF101を含めた歴代F1マシンとともに振り返る。
トヨタ TF101 (2001年)
トヨタ初のF1マシンとなるTF101。TF101は、19カ月かけてゼロから設計された。トヨタはこのTF101で、V10エンジンに変更となる2002年からの参戦に向け、ミカ・サロとアラン・マクニッシュのドライブにより各国の11のサーキットで8カ月間、3000ラップ以上、累計20,967kmに及ぶテストプログラムを実施した。TF101のデザインは、トヨタのル・マンマシンであるTS020を手掛けたアンドレ・デ・コルタンツが担当したが、デザインは古臭く、テスト結果も思わしくなくなかったため解雇された。
トヨタ TF102 (2002年)
TF102は、2001年5月にミナルディから引き抜いたグスタフ・ブルナーによって設計が進められた。ドライバーは、ミカ・サロ(カーナンバー24)とアラン・マクニッシュ(カーナンバー25)。開幕戦オーストラリアGPでは、ミカ・サロが6位入賞と幸先のよいスタートを切ったが、その後は第3戦ブラジルGPでサロが再び6位に入った以外はノーポイント。合計2ポイントで、コンストラクターズ10位で参戦初年度を終えた。
トヨタ TF103 (2003年)
TF103は、TF102の正常進化版といえるマシン。デザインは引き続きグスタフ・ブルナーが担当した。しかし、TF103は、前年のフェラーリマシンF2002に酷似しているとしてスパイ疑惑騒動に発展した。新エンジンRVX-03 V10は、ルカ・マルモリーニ(現フェラーリ)を中心に設計・制作された。2003年はドライバーを一新し、オリビエ・パニスとクリスチアーノ・ダ・マッタが担当。16ポイントをあげ、コンストラクターズ8位でシーズンを終えた。
トヨタ TF104 (2004年)
TF104は、TF103のコンセプトをベースにしながらも、シャシーを含めた全エリアを再設計。デザインは引き続きグスタフ・ブルナーが、シャシーはマイク・ガスコイン(現ロータス)が取りまとめた。ドライバーは前年と同じオリビエ・パニスとクリスチアーノ・ダ・マッタでスタートしたが、第12戦ドイツGP終了後にダ・マッタは解雇。中国GPまではサードドライバーのリカルド・ゾンタが、日本GPからはヤルノ・トゥルーリがカーナンバー16のドライブを担当。またオリビエ・パニスが最終戦を待たず日本GPで引退しため、最終戦ブラジルGPでは、リカルド・ゾンタがカーナンバー17のマシンに座った。9ポイントを獲得し、コンストラクターズ8位だった。
トヨタ TF105 (2005年)
2005年はラルフ・シューマッハがチームに加わり、ヤルノ・トゥルーリとコンビを組んだ。TF105は、マイク・ガスコインが本格的に設計に加わり空力を強化。第2戦マレーシアGPではヤルノ・トゥルーリがチーム初となる2位表彰台を獲得。トヨタはこの年、ポールポジション2回、表彰台計5回をはじめ88ポイントを獲得。コンストラクターズ4位でシーズンを終えた。また、この年からジョーダンへのエンジン供給を開始した。参戦当初からマシンを設計してきたグスタフ・ブルナーは、年末に解雇された。
トヨタ TF106 (2006年)
エンジンがV8エンジンへと変更になったこの年、トヨタはタイヤをミシュランからブリヂストンに変更。しかし、TF106はブリヂストンタイヤをうまく使いこなすことができず低迷。4月にはマイク・ガスコインを解雇。モナコGPからフロントサスペンションをゼロキール化したTF106Bを投入して復調をみせたが、35ポイントでコンストラクターズ6位に終わった。
トヨタ TF107 (2007年)
TF107は、V8エンジンに合わせてモノコックを新設計。前年の反省から、ブリヂストンタイヤにあわせてサスペンション周りが大幅に見直された。またギアボックスにはシームレスシフトが導入された。しかし、TF107は昨年より低迷。信頼性も乏しく、一度も表彰台に上ることなく13ポイントで、コンストラクターズ6位でシーズンを終える。この年からエンジンを提供したウィリアムズを下回った。また、2007年をもって3年間在籍したラルフ・シューマッハがチームを離脱した。
トヨタ TF108 (2008年)
2008年はラルフ・シューマッハの後任としてティモ・グロックがチームに加入。サードドライバーには小林可夢偉を起用した。TF108は、TF107からエアロコンセプトを劇的に変化させてはいるが、相対的にみれば近年のトレンドを組み込んだスタンダードかつコンサバティブなマシンだったといえる。TF108はシーズン当初からパフォーマンスを発揮し、フランスGPではヤルノ・トゥルーリが2006年以来となる3位表彰台を獲得。ティモ・グロックもハンガリーGPで2位表彰台を獲得するなど、56ポイントを獲得し、コンストラクターズ5位でシーズンを終えた。
トヨタ TF109 (2009年)
開幕戦からダブルディフューザーを搭載したTF109は、開幕から強さをみせ、ヤルノ・トゥルーリが3位、ティモ・グロックが4位と幸先の良いスタートをみせる。第4戦バーレーンGPではチーム初となるフロントローを独占。他チームの開発が進んだ中盤戦は低迷するも第14戦シンガポールではティモ・グロックが、第15戦日本GPではヤルノ・トゥルーリが2位表彰台を獲得。最終2戦では負傷したティモ・グロックに代わりトヨタ初の日本人ドライバーである小林可夢偉が出走。最終戦アブダビGPでは6位入賞を果たした。59.5ポイントを獲得し、コンストラクターズ5位でトヨタのF1活動は幕を閉じた。
(F1-Gate.comより)
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2009/11/15 (Sun)
F 1
ロータスチーム代表のトニー・フェルナンデスは、来シーズンに向けて一人目のドライバーと契約を交わしたことを明らかにした。ドライバーの名前の公表は避けたものの、彼は近々発表すると語っている。
ロータスF1、別名1マレーシアF1チームは来シーズンからF1に参戦し、ドライバーの発表はまだ行っていないが、その一人としてヤルノ・トゥルーリが候補に挙がっている。
フェルナンデスは今週末に次のように語っている。「1マレーシア・フォーミュラワンチームは、一人目のドライバーと契約した。彼の名前はすぐに明らかになるだろう」
(GP Updateより)
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ロータスチーム代表のトニー・フェルナンデスは、来シーズンに向けて一人目のドライバーと契約を交わしたことを明らかにした。ドライバーの名前の公表は避けたものの、彼は近々発表すると語っている。
ロータスF1、別名1マレーシアF1チームは来シーズンからF1に参戦し、ドライバーの発表はまだ行っていないが、その一人としてヤルノ・トゥルーリが候補に挙がっている。
フェルナンデスは今週末に次のように語っている。「1マレーシア・フォーミュラワンチームは、一人目のドライバーと契約した。彼の名前はすぐに明らかになるだろう」
(GP Updateより)
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2009/11/15 (Sun)
F 1
ダラーラのファクトリーでブルーノ・セナのシート合わせを終えたカンポスのメンバーは、F1初シーズンの準備に自信をみせている。
「ダラーラを訪問するたびに、クルマの進捗はより明白になっているし、風洞作業の段階で開発状況をみて、最終的な規模がわかり始めている」とエイドリアン・カンポスは語る。
ダラーラの作業を監督しているカンポスのエンジニアのアントニオ・クケレラは、カンポスが2010年のレースに向けて有利にスタートすることができると語る。
アントニオ・クケレラは、スーパーアグリでアンソニー・デビッドソンのレースエンジニアを務め、その後はBMWザウバーでロバート・クビサのレースエンジニアをしていた人物。
「プロジェクトは本当に進んでいるし、我々はすでに内部的なすべてのホモロゲーションテストをパスしている」
「ダラーラは何カ月も非常に懸命に作業してくれているし、これまでの結果には本当に満足している」
「現在のマシン開発の進歩とダラーラから提供されるデータのおかげで、我々は2010年にF1グランプリが開催されるほぼすべてのサーキットで最初のシミュレーションを行うことができた」
ブルーノ・セナも現在の進捗、特にシートフィッティングには満足しているようだ。
「マシンに座ってシートを合わせをして、ダラーラが正確な僕の身長や体格を考慮してシートを鋳型して仕立てることができたことは、2月のF1合同テストに参加するためのさらなる前進だ」
「僕は以前にダラーラが作ったマシンでレースをしたことがあるので、彼らの経験や品質、作業方法を完全に信頼している」
「僕たちは新しいチームだし、確かに始めは苦労するかもしれないけど、この方向で作業を続けられれば、最初のシーズンで良いデビューを飾ることができると思う」
(F1-Gate.comより)
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ダラーラのファクトリーでブルーノ・セナのシート合わせを終えたカンポスのメンバーは、F1初シーズンの準備に自信をみせている。
「ダラーラを訪問するたびに、クルマの進捗はより明白になっているし、風洞作業の段階で開発状況をみて、最終的な規模がわかり始めている」とエイドリアン・カンポスは語る。
ダラーラの作業を監督しているカンポスのエンジニアのアントニオ・クケレラは、カンポスが2010年のレースに向けて有利にスタートすることができると語る。
アントニオ・クケレラは、スーパーアグリでアンソニー・デビッドソンのレースエンジニアを務め、その後はBMWザウバーでロバート・クビサのレースエンジニアをしていた人物。
「プロジェクトは本当に進んでいるし、我々はすでに内部的なすべてのホモロゲーションテストをパスしている」
「ダラーラは何カ月も非常に懸命に作業してくれているし、これまでの結果には本当に満足している」
「現在のマシン開発の進歩とダラーラから提供されるデータのおかげで、我々は2010年にF1グランプリが開催されるほぼすべてのサーキットで最初のシミュレーションを行うことができた」
ブルーノ・セナも現在の進捗、特にシートフィッティングには満足しているようだ。
「マシンに座ってシートを合わせをして、ダラーラが正確な僕の身長や体格を考慮してシートを鋳型して仕立てることができたことは、2月のF1合同テストに参加するためのさらなる前進だ」
「僕は以前にダラーラが作ったマシンでレースをしたことがあるので、彼らの経験や品質、作業方法を完全に信頼している」
「僕たちは新しいチームだし、確かに始めは苦労するかもしれないけど、この方向で作業を続けられれば、最初のシーズンで良いデビューを飾ることができると思う」
(F1-Gate.comより)
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2009/11/15 (Sun)
F 1
ブルガリアの自動車連盟は、すでに発表していた2012年シーズンからの2輪モトGPの開催を、当分延期されたことを明らかにした。
同連盟のボグダン・ニコロフ会長によれば、理由は財政上の問題ということで、エクレストン氏が開催料の減額を認めるか、または政府からの大規模な支援がない場合にはグランプリ開催は断念に追い込まれるという。
一方、モト・グランプリと同時に4輪F1グランプリの開催も計画していたが、こちらも当然実現の見通しが立たないことになった。
(FMotorsports F1より)
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同連盟のボグダン・ニコロフ会長によれば、理由は財政上の問題ということで、エクレストン氏が開催料の減額を認めるか、または政府からの大規模な支援がない場合にはグランプリ開催は断念に追い込まれるという。
一方、モト・グランプリと同時に4輪F1グランプリの開催も計画していたが、こちらも当然実現の見通しが立たないことになった。
(FMotorsports F1より)
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2009/11/15 (Sun)
F 1
BMWがF1から撤退することで、BMWザウバーF1チームとしての歴史は今年で幕を閉じる。
2005年末にBMWがザウバーを買収してBMWザウバーF1チームとなって以来、チームは着実に力をつけ、優勝1回、ポールポジション1回、16回の表彰台を獲得。70戦に出走し、合計で308ポイントを獲得した。
BMWザウバーの歴代F1マシンを中心に4年間の歴史を振り返る。
BMWザウバー F1.06 (2006年)
BMWザウバーの初マシンであるF1.06。前年マシンであるザウバーC24の流れを引き継ぎながらも、燃料タンクやエンジンなどをより低い位置に設置し低重心化。フランスGPでは、コックピット前方に2本の垂直ウィングを装着したが、次戦から前方視界の確保を理由に禁止となった。ドライバーは、ニック・ハイドフェルド(カーナンバー16)とジャック・ヴィルヌーブ(カーナンバー17)。第12戦ドイツGPでジャック・ヴィルヌーヴが離脱し、第13戦ハンガリーGPからはサードドライバーのロバート・クビサがレースドライバーに昇格した。36ポイントを獲得し、コンストラクターズ5位。
BMWザウバー F1.07 (2007年)
ニック・ハイドフェルド(カーナンバー9)、ロバート・クビサ(カーナンバー10)で挑んだ2年目。F1.07は序盤から安定したパフォーマンスをみせ、合計で101ポイントを獲得。マクラーレンがポイント剥奪となったためコンストラクターズ2位。カナダGPでは、ロバート・クビサが大クラッシュ。しかし、クビサは足を捻挫しただけの軽症で済み、F1マシンの安全性の高さを証明する事故となった。次戦アメリカGPではセバスチャン・ベッテルが出走。8位入賞し、F1.07のポテンシャルの高さを示した。
BMWザウバー F1.08 (2008年)
F1.08は基本的にF1.07の正常進化版。ハイドフェルドは全戦完走、クビサもマシントラブルによるリタイアはなく、信頼性の高いマシンだった。オフシーズンテストでは速さがなかったF1.08だが、さまざまな空力付加物が追加され、シーズンではトップ3のパフォーマンスを発揮。第7戦カナダGPではロバート・クビサがチーム初優勝。ニック・ハイドフェルドも2位に入り1-2フィニッシュを達成。11回の表彰台を含め、合計136ポイントを獲得し、コンストラクターズ3位。ドライバーズ選手権ではクビサが4位、ハイドフェルドが6位。
BMWザウバー F1.09 (2009年)
レギュレーションが大幅に変更となったこの年、BMWザウバーはどこよりも早く2009年マシンのテストを開始するが、KERS搭載、またダブルディフューザー非搭載のディスアドバンテージもありF1.09は序盤から大苦戦。バーレーンGPではKERS搭載をやめ、スペインGPからはBスペックともいえる大幅なアップグレードを投入。シーズン後半には表彰台を獲得するも、36ポイントに終わりコンストラクターズ6位でシーズンを終えた。
(F1-Gate.comより)
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BMWがF1から撤退することで、BMWザウバーF1チームとしての歴史は今年で幕を閉じる。
2005年末にBMWがザウバーを買収してBMWザウバーF1チームとなって以来、チームは着実に力をつけ、優勝1回、ポールポジション1回、16回の表彰台を獲得。70戦に出走し、合計で308ポイントを獲得した。
BMWザウバーの歴代F1マシンを中心に4年間の歴史を振り返る。
BMWザウバー F1.06 (2006年)
BMWザウバーの初マシンであるF1.06。前年マシンであるザウバーC24の流れを引き継ぎながらも、燃料タンクやエンジンなどをより低い位置に設置し低重心化。フランスGPでは、コックピット前方に2本の垂直ウィングを装着したが、次戦から前方視界の確保を理由に禁止となった。ドライバーは、ニック・ハイドフェルド(カーナンバー16)とジャック・ヴィルヌーブ(カーナンバー17)。第12戦ドイツGPでジャック・ヴィルヌーヴが離脱し、第13戦ハンガリーGPからはサードドライバーのロバート・クビサがレースドライバーに昇格した。36ポイントを獲得し、コンストラクターズ5位。
BMWザウバー F1.07 (2007年)
ニック・ハイドフェルド(カーナンバー9)、ロバート・クビサ(カーナンバー10)で挑んだ2年目。F1.07は序盤から安定したパフォーマンスをみせ、合計で101ポイントを獲得。マクラーレンがポイント剥奪となったためコンストラクターズ2位。カナダGPでは、ロバート・クビサが大クラッシュ。しかし、クビサは足を捻挫しただけの軽症で済み、F1マシンの安全性の高さを証明する事故となった。次戦アメリカGPではセバスチャン・ベッテルが出走。8位入賞し、F1.07のポテンシャルの高さを示した。
BMWザウバー F1.08 (2008年)
F1.08は基本的にF1.07の正常進化版。ハイドフェルドは全戦完走、クビサもマシントラブルによるリタイアはなく、信頼性の高いマシンだった。オフシーズンテストでは速さがなかったF1.08だが、さまざまな空力付加物が追加され、シーズンではトップ3のパフォーマンスを発揮。第7戦カナダGPではロバート・クビサがチーム初優勝。ニック・ハイドフェルドも2位に入り1-2フィニッシュを達成。11回の表彰台を含め、合計136ポイントを獲得し、コンストラクターズ3位。ドライバーズ選手権ではクビサが4位、ハイドフェルドが6位。
BMWザウバー F1.09 (2009年)
レギュレーションが大幅に変更となったこの年、BMWザウバーはどこよりも早く2009年マシンのテストを開始するが、KERS搭載、またダブルディフューザー非搭載のディスアドバンテージもありF1.09は序盤から大苦戦。バーレーンGPではKERS搭載をやめ、スペインGPからはBスペックともいえる大幅なアップグレードを投入。シーズン後半には表彰台を獲得するも、36ポイントに終わりコンストラクターズ6位でシーズンを終えた。
(F1-Gate.comより)
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2009/11/14 (Sat)
F 1
ジェンソン・バトンは、金曜日にワーキングのマクラーレン本部を訪問。マクラーレンもこの報道を認め、バトンのマクラーレン移籍が噂が加速している。
ジェンソン・バトンは、日本での休暇を終え、ヒースロー空港に到着。マクラーレンの広報はバトンが「ワーキングに挨拶に立ち寄った」ことを明らかにしている。
また、ガーディアン紙は、ジェンソン・バトンのマネージャーであるリチャード・ゴダードも、マクラーレンのチーム代表であるマーティン・ウィットマーシュにファクトリーを案内してもらったと報じている。
ブラウンGPは、ジェンソン・バトンの昇給要望を事実上拒否。ロス・ブラウンは、お金よりもバトンの個人スポンサー獲得の自由を与えるよう提案しているが、同紙はそれを嘲笑うかのようなリチャード・ゴダードのコメントを掲載している。
「ジェンソンは、常に自分で肖像権を管理してきた」と語るゴダードは、ブラウンGPが、大きなスポンサーを獲得し、メルセデス・ベンツが買収するという噂にも関わらず行動を起こしていなことを「心配している」と語る。
「ブラウンがチームを売ることになれば、大きな資金が入っている。それなら、なぜその資金がジェンソンに使われないんだい?」
「ジェンソンは非常に忠実な男だが、いくつかの点において、お金に関してストップしている。それに向き合おうというのが、みんなが感じていることだ」
今週初め、キミ・ライコネンもマクラーレンを訪問している。
現在のドライバーであるヘイキ・コバライネンがマクラーレンに残留する可能性は低く、マクラーレンはジェンソン・バトン獲得に失敗した場合、ルイス・ハミルトンのチームメイトの第二候補はキミ・ライコネン、第三候補はニック・ハイドフェルドであるとみられている。
(F1-Gate.comより)
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ジェンソン・バトンは、金曜日にワーキングのマクラーレン本部を訪問。マクラーレンもこの報道を認め、バトンのマクラーレン移籍が噂が加速している。
ジェンソン・バトンは、日本での休暇を終え、ヒースロー空港に到着。マクラーレンの広報はバトンが「ワーキングに挨拶に立ち寄った」ことを明らかにしている。
また、ガーディアン紙は、ジェンソン・バトンのマネージャーであるリチャード・ゴダードも、マクラーレンのチーム代表であるマーティン・ウィットマーシュにファクトリーを案内してもらったと報じている。
ブラウンGPは、ジェンソン・バトンの昇給要望を事実上拒否。ロス・ブラウンは、お金よりもバトンの個人スポンサー獲得の自由を与えるよう提案しているが、同紙はそれを嘲笑うかのようなリチャード・ゴダードのコメントを掲載している。
「ジェンソンは、常に自分で肖像権を管理してきた」と語るゴダードは、ブラウンGPが、大きなスポンサーを獲得し、メルセデス・ベンツが買収するという噂にも関わらず行動を起こしていなことを「心配している」と語る。
「ブラウンがチームを売ることになれば、大きな資金が入っている。それなら、なぜその資金がジェンソンに使われないんだい?」
「ジェンソンは非常に忠実な男だが、いくつかの点において、お金に関してストップしている。それに向き合おうというのが、みんなが感じていることだ」
今週初め、キミ・ライコネンもマクラーレンを訪問している。
現在のドライバーであるヘイキ・コバライネンがマクラーレンに残留する可能性は低く、マクラーレンはジェンソン・バトン獲得に失敗した場合、ルイス・ハミルトンのチームメイトの第二候補はキミ・ライコネン、第三候補はニック・ハイドフェルドであるとみられている。
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